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出来るかなー

あなたはどうしてますか?チャリで走っていて前方の信号が赤になった時に。

その交差点が小さい交差点で、とうてい誰も通らない、あるいは夜中やったら?

自動車を運転していたら、多分、たいていは停まるでしょうね。

何で?って、多分それは免許証に傷がつくのがイヤやから?

あるいは罰金が怖いから?

ところが、誰しも気が付いているでしょうが、全国的にチャリで信号を守る人の割合は殆どゼロ。

逆に99.99%の人は上の様な交差点では信号を無視。

それでも私は停まりますよ。

たとえ変人扱いをされても。

これって結構意志が強くないと出来ないよ。

案外

福島営業所への移動のようにいつも同じコースを走っていると、同じようにチャリ通勤の人たちと会います。

そして回を重ねていると顔ぶれも決まってきます。

それで、その知り合い?の人たちと何処で何時頃会うかで出勤のペースが判ってくるのです。

あ、あの人とこのあたりで会ってるようでは少し遅れ気味か、とね。

向こうもけっこう同じように判断しているのでは?

ええっ?我が輩の足が?どないしてん?

先日のこと、蔵王峠から下ってきて光滝のキャンプ場あたりを走っていると、前から若い男女のグループが歩いてきて…

すれ違いざまに聞いてくれました、『ええー?自転車でどこから下りてきたん?』

「どこからて、そら蔵王峠やんか。その前に大阪側から紀見峠を越えて和歌山県側へ。一旦下ってまた峠を越えて来たんや」

『ええー、マジでー?』

「あんたら若いんやからちょっと練習したら十分そんなん楽勝やで」

そしたら言いよりました。

『うわー、おっちゃんの足の筋肉、何やそれ!えげつなー』

放っといてくれ。

ここまで来ると笑わすなー

最近、というかかなり前からかも、ですが、いわゆる出合サイト系の勧誘メールが無数に送られてきます。

ええかげんにしーや、と思うのですが。

敵もネタ切れなのか、とんでもないのが来ます。

例えば、こんなん↓

オオアリクイって、確かシロアリを食うて生きてるんやなかったか。

それにアジアにはおらんかったのと…

それ以前に…

かざりカボチャ

8月6日に宮津へ行く途中、瑞穂町の道の駅で買ったかざりカボチャです。

なんやユーモラス、そして本物というより作り物のよう。

SPAMのオリジン

これが元祖、スパムSPAM。

美味しいですよー、ちょっと塩味がきついけど。

いわゆるスパム・メールのスパムですが、なぜスパム…と呼ばれるようになったかはここ

そしてその怖ろしいコーラスはここに。

おまけにこんなん

プロには勝てないと言う話

といってもチャリの話ではありません。

私は自他共に認めるカレー好き人間。

あるとき何やかやで9日連続で、一日に一度はカレーを食べるチャンスがありました。

そして最後の日に、ある行きつけのカレー・ショップで、お店のおばちゃんに自慢しました。

「今日これで9日連続でカレー、食べてるでー」。

そしたらおばちゃん、一言、「私たち、毎日です。」

ギャフン、参りました。

自転車への興味

私は小さい頃からメカ、すなわち機械が大好き。

今の仕事もある意味で機械いじりみたいなもの。

機械というのは、もちろんいろいろあるのですが、構造がシンプルで作用が大きいほどすばらしい機械と言えるのでは。

その点では自転車はかなりいい線いってると思いませんか。

実家の近く、国道2号線に面してM自転車店というのが少年時代にありました。

昔ながらの普通の自転車やさん。

おっちゃんが一人居てパンクなんかしたら自転車を押して持っていくとすぐに直してくれる、そんなお店。

いろいろな故障ごとにおっちゃんに頼むと、いろんな工具を出してきては見事にバラして直して組み立てていくのを見て、すごいなーと子供ながらに思っていました。

何度も通っていると、えらそうなことを書きますと私はメカに関しては特別の才能があるように思うのですが、メカの内容が、その機能から逆に推測出来るようになってきたのです。

自転車というのは、上にも書いたようにシンプルであることが要求される、つまりいろんなメカ、この場合はからくりですね、を駆使する必要があるため、工夫もされている。

したがっていろんなメカが応用されているんですね。

だからこの自転車のメカを知ることは殆どのメカを知る手助けになったのです。

M自転車店のおっちゃんはその後胃の病気でなくなったとか。

けど、おっちゃんを知ることが出来たのは幸いでした。忘れないよ。

なぜ自転車か

私の父親は、実は自転車に乗れません。一時、父が60歳代の時に、特訓?してみましたが、無理でした。

その息子が自転車に狂ってるんやから、世の中面白い、少なくとも自転車にのる能力は遺伝しないということでしょうか。

誰でも、自転車に乗れる人は、生まれて初めて、補助輪なしで自転車に乗れた瞬間の記憶を、たとえかすかでも覚えているものだと思いますが、いかがでしょう。

その時、彼(あるいは彼女)の世界が変わったのです。行動半径が飛躍的に拡がるのです。遊びの場所が百メートル単位からキロメートル単位に変わったはずです。

私の場合は、初めてちゃんとした自転車を買ってもらった時のことをよく覚えています。あれは小学校の低学年だったかな、あるいは幼稚園の頃だったか、大阪市内は北のH百貨店の自転車売り場に連れて行かれて、濃緑色の塗装の自転車を選んだのを覚えています。

当時としては、比較的高級な子供用自転車だったと思いますが、もちろん最近のような、軽量化されたスポーツ車タイプではなくて、鉄の塊だったはずです。

そんなでしたが、その頃から、子供用自転車に乗って大人の自転車を追い越して悦に入ってた記憶があります。

小さい時からスピードに狂う性格があったのかも。

自転車の楽しみ方には色々あると思います。

1.メカとしての楽しみ。

2.運動の一方法としての楽しみ。

1.のメカとしての楽しみ方としては、こんな例えはどうでしょう。車の世界でハイエンドとも言えるF-1マシンを手に入れることは出来るでしょうか?出来たとしても億単位の話になるでしょう。

チャリの場合はハイエンドを手に入れるのは比較的簡単です。安い車を買うくらいの投資で世界のトップクラスの選手が乗っているマシンを手に入れることが出来るのですから。違うのは駆動する「エンジン」だけです。

ついでに例えるならロード・レーサーは車の世界で言うと上記のF-1マシンですね。トラック・レーサーはいわばドラッグスターかな。MTBバイクは、その調子で書くならラリー・カーでしょうか。

2.は、これはやってみないと判らないと思いますよ。どうせなら中毒になるまで乗ってみてください。

だけど、それ以前に感じたことはありませんか。よかったら明日にでもチャリにまたがった時に思ってください。上に書いたような、初めてチャリを克服したその瞬間を。

だから、チャリに乗って走りだした時に私は子供の時に戻れるのです。あのワクワクする気持ちを取り戻せるのです。

体力の限界

ちょっと大げさなタイトルですが、最近感じているのです。

他のページにも書いていますが、Polarの心拍数計による計測では、私の最大酸素摂取量は20歳代の後半、あるいは30歳代の前半でのトップアスリートという評価を得ています。

ただし、実はこれが一番の問題点なんですが、いくら最大酸素摂取量を体力を鍛えることにより増強させても、最大心拍数のしばりがあるのです。

つまりAT値、つまり無酸素運動と有酸素運動の境界となる心拍数は、いくら鍛えても最大心拍数の80〜90%までしか上げることができないのです。

私の場合、Polar心拍数計は実際の年齢よりも10歳ほど若返らせてくれて175/分まで許してくれるのですが、実測上私のAT値は140/分、つまりこの最大心拍数の80%になっていて、一般的な運動家の限界に達していると考えられます。

一言で書くとAT値は年齢により制限される、のです。

いまさら書いても仕方がないのですが、あと20〜30歳若かったら有酸素運動の範囲内でガンガン行けたのに。

マスターMの話

いやー、世間って狭いもんですね。仮にI医師の話としておきましょう。

I医師が医者になってかれこれ30年は越えているはずです。その彼が、卒業してすぐにパートで勤務しだしたFという病院がO市F区にあります。

I医師はかなりのグルメ、いや、いやしんぼといった方が正確かも。

10数年前に彼は、同じくF区の近くにある同門の後輩からF病院の近くにある洋食屋のことを教えてもらいました。

とにかく安くて旨い、マスターは凝り性で、例えばハンバーグも自ら毎日こねて仕込んでいる、そして焼く時は白ワインを振りかけてまで…

などと聞くと耐えられなくなって食べに行ってしまうのがI医師です。

案の定、その店、マスターはMというんですが、の常連になってしまった。

慣れ親しんだころ、ある時、マスターMがI医師に言いました。「先生の勤めてるF病院、昔私もかかったことあるんですよ。それも胃に穴が開いてね。その時診てくれた医者が、若くてね(たよりなくてね)えらい目に遭うたんですわ。結局他の病院で手術受けて助かったんやけど。」

初めてこの洋食屋に行った時に、「いらっしゃい」の声と同時に見たマスターの顔、どっかで見覚えあると、初対面ではないのでは、と思ってたI医師、ハッとしたのです。

そう、かれが卒業して間もない頃、F病院の日勤当直をまかされ、確かある日曜日に胃穿孔の患者を診た記憶が蘇ったのです。

白い上っ張りを着てやってきた四角い顔をした男性患者、確か午前中に来て「胃が痛い」と訴え、適当に胃薬を与えて帰したけど、昼からもう一度、「もっと痛くなった」と来た患者。

折からF病院の院長も副院長もゴルフで帰ってこない、緊急手術が出来ないと聞いていた、けどレントゲン装置の扱いだけは見様見真似で覚えていた、あの頃、なんとか腹部のレントゲン検査だけはしてみたら、横隔膜下の空気陰影、それは胃穿孔のサイン。

あわてて救急隊に連絡して、緊急手術が可能な病院を探してもらい、転送を終えてほっとした、その記憶。

それ以来、I医師はMの店に行っても、あの時の若僧医者は私でした、とは言えずに毎週通っていたのです。

Mは4、5年前に家主が立て替えたいと申し出た時に、なにがしかの金額で話をつけ、店をたたみました。

また、どこかで店を開いたら知らせますから、と言われて期待して待っていたのですが、どうやらマスター、そこそこの金を手に入れて、楽を覚えてしまったのか、ママさんの話では(住所も電話も聞いていた)カラオケ・ボックスを経営しだしたとのこと。

そうか、もうあのおっちゃんの料理は味わえないのか、と諦めていたI医師でした。

しばらく電話もしなかったようですが、2年ほどして、ふと思い出したように電話をすると、ママさん、「マスターね、去年の9月26日に死にました。しばらく前から体調を崩してね、結局肝臓のガンで…。知らせたかったんやけど、本人がやつれていく自分を見られたくなかったようで、結局知らせられなくて。」

その時、初めてI医師はママさんに告白したのです、あの30年近く前にちゃんと最後まで治療できなかった若僧は私だったんです、けど、マスターが、ぼやいていたのでついつい話せなくて、と。

そしたらママさんは、言ってくれたのです。

「いやー、とんでもない、マスターは、ちゃんと診断してもらって、ちゃんと手術を受けさせてもらえて、きれいに治ったんで喜んでたんですよ。」と。

こんなん死刑や

自然が一杯の山々、その中でもひっそりとしている蔵王峠までの道ですが、ひっそりしている、すなわち人目につかない、ということから、こんなことになっています。

写真は蔵王峠から大阪側に下ること500m程の場所ですが↓

上から見て左側に何か見えます。

なんと、ここは粗大ゴミの山!

写真の左端には滝畑ダムへ流れ込む渓流の源流が流れているのです。

すなわちここは我々河内長野市民の水源なんですが。

いろんなゴミが捨ててあります。

やはり、これは予想のとおりですが、処分するのに費用がかかりだした家庭用大型電化製品が多いような気がします。

そしてベッド、タイヤ、ホイール等々。

そして挙げ句の果ては自動車まで!

それも一台じゃないですよ。

自動車には確かバッテリーも積んであるはず。

バッテリーの中身は硫酸ですよー。

オイルも流れ出すでしょうし…

この写真の白いローレルの場合は、たまたま去年ここに捨てにきているのを目撃しました。

この車は和歌山県側から捨てに来たのを知っています。

そして何と軽トラックで牽引してここまで運んだようです。

ちょうど蔵王峠までの上りを走っている時に重そうに牽引している2台をこの目で見たのです。

追い越された時は、わざわざご苦労さん、大阪側まで修理にでも持っていくのかな、と思っていました。

そしてしばらく走り蔵王峠を越え、下っていくと、ここにその2台の車が止まっていたのです。

その時は、まさか、まさかですよ。渓流に捨てにきているとは思わなかった。

判っていたら、ただでは済まさなかったつもりです。

しばらくして、同じコースを走ると、そこには…

時々、日本人が嫌になります。みんなではないけど…


尚、上記の記載は2004年9月28日に訂正させていただきました。

和歌山県側から、かつらぎ町を経由して運ばれてきたのは事実ですが、残念ながらどこから運ばれてきたのかは不明です。


かつては不法投棄のゴミためだった場所。↓

今(2006年4月16日)でこそフェンスでガードされていますが、いつまで保つかな。

ほうらね、もうそろそろフェンスの中にゴミが見え始めてる。↓

いやな日本人の一面。

追加:最近、ようやくこの不法投棄の諸々は片づけられ、フェンスが設けられました。

しかし、おそらく場所を代えて、同じような、いやもっと悪質な不法投棄が行われているような気がします。

だから、この頃は常にデジカメを携帯し、もし遭遇できたら撮影して通報してやろうと思っています。多少、危険が伴いますでしょうが。

健康のためには

どうです、このデータ。

中性脂肪の値を見て下さい。

定期検診での私の値です。これもチャリのおかげのはずです。

そーかて、このホームページ見てたらわかるでしょ。私の異常な?食欲。

美味しいもの

今まで食べたものの中で、何が一番美味しかったか。聞かれたら、普通は返答に困るかも知れません。

けど、私の場合は、即座に応えることが出来ます。

それは、確か小学校の中学年の頃、岡山県は久米郡の知人の家へ、夏休みに遊びに行った時食べたご飯、そうただのご飯です、おかずなしの、白米だけのご飯。

ただし、そこではカマドで、薪を燃やしてお釜でご飯を炊いていたのです。

そして、状況は、夏休み。天気のいい、自然たっぷりの中を、野山を走り回った後の、育ち盛りの少年、つまり私。

もちろん、食欲は旺盛だったはず。

それにしても、あの時ほど、美味しいご飯、いやあらゆる食べ物で、美味しいものを食べたと感じたことはありません。

ご飯に、普通のお茶をかけて、お茶漬けにして、立て続けにお茶碗に5杯食べたことまで覚えています。

この頃、我が家では、ご飯はすべて圧力鍋を使って炊いています。

結構美味しく炊けているとは思いますが、何かが足りない。

それはあの薪をくべた時の煙の匂いだけでしょうか。

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